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多世代の福祉ニーズに応える ふくしの生協
2021-07-21

思い出の歌 その1

鐘が鳴りますキンコンカン (あい子@かんらんの会)
 それは小学校5年生の時でした。校長と若い男先生二人だけの学校、北海道十勝大草原の小さな小学校でした。それでもちゃんと運動会もあり、おゆうぎを4、5、6年生全員でも30名でやることになりました。とつぜん男先生に「あい子まかせる 考えてくれ」と頼まれたのです。
 中学生の姉に相談!「みどりの丘の赤い屋根」「とんがり帽子の時計台」と云うことになり、私は得意になって、6年生をしたがえて…上級生をさしおいて先生は何故、私を…(ご想像におまかせ)
さて当日になり運動場の周りは父兄がびっしり。ご馳走のお弁当をたくさん作って親戚や他校の生徒も。お見合いの席もあったのですよ。村中集まって祭りのようでした。そしておゆうぎは、万来の拍手で大成功!
 やがて時はすぎ30年も経った頃、東京に住む自分に廃校の知らせが届きました。涙が出てしまいました。戦後まだ、物も余りない頃この歌は大人も歌い希望の歌ではなかったでしょうか…
「鐘が鳴りますキンコンカン」「メイメイ子やぎもないてます」「風はそよそよ丘の上」…
         
たれか故郷を想わざる (國彰@ふれあい遊湯う)
 それは、童謡と唱歌を含み持った、戦時中に流行した“誰か故郷を想わざる”です。私も後期高齢者の年になりましたが、私達の小学生の頃は日本中が貧しくても、人と人とのつながりがあり、日本の原風景が心の奥に残っていた、しかも昭和生まれの兄や姉たちが周りのどの家庭でもたくさん居たので、父や母に育てられたと言うよりも、向こう三軒両隣の先輩たちを真似、世の中を観て歩んできたのかもしれません。今にして思えば、目まぐるしく時代や流行歌が変わっていく中で、生活が一番で歌なんかにかまけていられない、大切なものが深く心に届かないまま忘れていったのだと思います。
 現在私は仕事上、私よりも上の方々と、先輩たちが青年時代に歌っていた歌を歌詞も見ないで共に歌い、一体感のようなものが生まれ非常に癒されています。”誰か故郷を想わざる“はこの曲を聞くたびに先輩たちが口をそろえて言っていたセリフ「私たちも若い君たちと同じように戦争のない時代に思いっきり青春を味わって過ごしてみたかった」この言葉が耳元によみがえってきます。
今日も心を込めてこの歌を唄います。

美空ひばり(孝子@新宿)
私の心に残る思い出のうた・・思い出のうたでもあるのですが、その歌の歌手は美空ひばりさんです。 美空ひばりは私の亡き母が大ファンだったということもあり、戦前生まれの母は戦後物資が少ない時代の日本では幼くも歌唱力があり、天使のような歌声の美空ひばりに心打たれ、それからというもの、元々歌をうたうのが好きだった母は美空ひばりの歌を真似てよく歌ったり、聴いては癒されたり、元気をもらったりして励みになっていたようです。
 私も小さい頃から母がラジオやテレビで聴いていた歌番組で美空ひばりが出演していると、母が一緒に口ずさんでいて嬉しそうな母を見ていると私も嬉しくなって子供心にその光景がしみ込んでいました。その中で特に一番といううたはありませんが、小さい時によく聴いていた「柔」や「お祭りマンボ」や「真っ赤な太陽」です。大分経ってからは、「川のながれのように」や「愛燦燦」です。
 母が脳梗塞で半身不随になり私が介護を始めてから18年間、美空ひばりの曲はよく聴いていました。最後は寝たきりになり、認知症も患ってしまいましたがそれでも曲をかけると喜んでいました。
 母が他界して4年の月日が経ちますが、あれから一度も美空ひばりの曲はかけていませんでした。あえてあの頃のことを思い出したくなかったのでしょう。けれど今はゆっくりと落ち着いた気持ちで目を閉じて美空ひばりのうたを聴いてみると、瞼の裏にくっきりとあの頃の思い出が溢れてきます。

荒井由実 (拓@信濃町)
 私が生まれる前の歌だが、荒井由実の初期の歌を初めて耳にした時はとても聴きごたえがあった。まず、サウンドに注目してみるとコードがお洒落であることに気づく。『卒業写真』や『あの日にかえりたい』はセブンスコードを多用しており、ギター練習ではよい教材になった。また、『中央フリーウェイ』は転調を繰り返すので大変勉強になった。
歌詞は実体験をもとにして書いているようだが、憧れや回想をテーマにした歌詞は現実が混ざりつつも非日常的な世界観を醸し出し、それが歌の魅力となっている。本人がデビューした頃は日本では演歌が主流と思われるが、洒落た演奏に独特のふわふわとした詞の世界が合わさった曲は当時としては斬新だったようで、若者がこれに飛びついたのも納得できる。
ユーミンは流行歌にも関与している。特に1980年代に売れた歌の歌詞カードを見ると、作詞の欄に本人のペンネームである呉田軽穂の名が何気なく記されている。つまり流行の影の立役者でもあり、これも初めて知った時は驚いた。

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