昔は寒かったとよく言うが、昔の住まいは寒かったと言い換えるべきかもしれぬ。越してきた古家で昭和の寒さを実感している。

湯豆腐やいのちのはての
うすあかり

528久保田万太郎にこんな句があった。読み方はいろいろあるだろう。寒い晩、ひとり鍋を前にしている。寂しさもあるが老いてようやくたどりついた安らぎだろうか。

年寄れば悔い多く、あの仕事を続けていればよかったとか、あのとき子どもの気持ちを汲み取れなかったとか、思いは果てしない。しかし、どうやら忘れ心と諦めが、うまく作用するらしく突き詰めるところなく終わる。

美味求真の熱も失せ、食べ物の好みも単純なものに返っていく。湯豆腐は単純極まりない料理だ。
残業続きのある晩、食卓に一人鍋の湯豆腐があった。遅く帰宅するのは仕事であっても後ろめたいものだ。豪勢な鍋が用意されていたら堪らなく重い。簡単な湯豆腐こそが思い遣りだ。ふうふう言いながら熱燗の一杯は無上の幸せだ。
鍋底に昆布を敷くだけ、水だけはどこぞの名水を奢る。豆腐は木綿。水菜やセリなど少し青みがあるとよい。
たれはポン酢、麺つゆ、大根おろし、いっそ、生醤油でも構わない。薬味はおかかや青ネギ、七味、柚子。
田舎の妹が庭先で採れたという蜜柑を送ってきた。無農薬だから安心と軒先に吊るしておいた。鍋の薬味にしたら大層美味かった。

(浅夢)